イエスの愛

イエス・キリストの愛についての日記

愛は親切で情け深い

イエス様の愛(キリストの愛)を聖パウロは第1コリント13章を中心に述べています。この愛の大切さを述べる前に聖パウロの頭にあったのは、教会内の人間関係の問題です。それは、第1コリント(コリントの信徒への手紙一)を読めば・・・古今東西どこにで…

愛はすぐ怒らない

イエス様の愛つまりキリストの愛で一番目に来る特徴は第1コリント13章4節にある「すぐ怒らない」ことです。直(す)ぐ怒らない、と英語や日本語では訳されていない場合が多いので、日本語訳聖書では見当たらないかもしれません。ですが、世の中で一般的…

仲直り

日本古来の宗教とキリスト教の違いは何か。歴史に書かれた事実、それも、キリスト教徒による残酷な行為を知らされている日本人には信じがたい違いかも知れない。 また、隠れキリシタンを生んだ日本の暗い歴史的な事実。そのため、イエス様の説いた教えが、多…

χαρισμα(カリスマ)

カリスマ(χαρισμα`)はギリシャ語に由来します。もともとは、贈り物の意味です。その最上のものは天からの贈り物、つまり、神様からの贈り物です。賜物(たまもの)と短く言うことがあります。また、日本人がよく使う使い方のカリスマの意味もあります。文…

炎の人パウロ

聖パウロは炎の人だった、と新約聖書を読むたびに思う。その情熱は炎のように熱いのですが、どうも、日本人は感情をあらわにした表現を避けます。恋人と歩くときに、「君を愛してる、君の瞳はきれいだ」とは言えずに「街の明かりがきれいだ」とか告白します…

神様の正義とは義なり

「神様の正義とは義なり」。つまり、「日本語訳聖書では「義」と「神様の正義」を翻訳しているのです。義を正義と訳してもいいのでしょうが、人間が思う正義と神様の正義とは全く同じではないのです。勧善懲悪であっても恩赦もまた神様の正義なのです。神様…

古代と現代のキリスト教会との違い

古代の新約聖書時代のキリスト教会と現代のキリスト教会との違いについて思った。 そう思ってみても、現代は数えきれないくらいの教会があり、宗派も多様だ。表面的な違いは個人的に知っている範囲をはるかに超えて多いだろう。個人的によく知っている教会も…

日本は多神教か

日本は多神教の国という日本人が言うときは、一神教であるキリスト教を意識して言うことが多い。一神教とはアブラハムが信じた神様を信じている宗教を指して、成立の順番から言えば、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教だ。つまり、同じ神様を信じている一神…

天罰

天罰とは神様から下される罰で軽いものから重いものまであり多種多様。 「こんなことをしたので、していたので罰が当たった」と日常的に思うことは多い。 天とは神様を遠回しに述べる表現なので、幅広く使われる言葉。しかし、天罰という言葉はイエス・キリ…

禁断の実と悟り

神様が造られた初めの人アダムはパートナーの彼女がくれた禁断の実を食べた。禁断の実がなっている木の名前は、直訳すれば、「善と悪を知るための木」または「善と悪がわかるための木」。神様の教えや戒めは「何々をするな」という禁止の言葉が多い。神様の…

禁じられた遊び

ヨハネ・ヤジロー 人は「禁じられた遊び」をするものだ。それは、イブ(エバ)の子だからだ。 子どもだったころ、母親からこのような言葉で叱られた人はかなりいるだろう。 「こんなことしては、だめでしょ!あれほど言っておいたのに。」 聖書で書かれてい…

罪(つみ)とは何か

罪とは何か。この問いに多様な答えがあるだろうと思います。 キリスト教の基礎は旧約聖書、特に、モーセの5書ではあるけど、新約聖書がキリスト教の華。それで、新約聖書の原語の罪という言葉の起源を見てみます。 「罪」という言葉の音訳は、「ハマルティ…

ロゴスと言霊(ことだま)

ヨハネ・ヤジロー ロゴスというギリシア語に由来する日本語にロゴという言葉があります。ロゴマークのロゴのように使われることが多い言葉です。このロゴスはヨハネによる福音書の冒頭に出てくる言葉「初めにロゴスあり」です。これは「初めに言葉があった」…

聖書と歴史書の違い

ヨハネ・ヤジロー 聖書には歴史的な物語が描かれています。でも、我々が学校で学ぶ歴史とは違うのです。学問としての歴史は、現代から百年前くらいのことは生きた関係者もおり、権力が恐いこともあり、大切な真実を語らないことが多い。それより、昔のことで…

断食

ヨハネ・ヤジロー 洋の東西を問わず、断食は宗教的な慣習や苦行として古代からある。 様々な目的があるらしい。目的に応じて、完全な断食や部分的な断食もある。しかし、飲食を完全に絶つことは危険。だけど、悲しみに暮れているときは完全な断食に自然にな…

悪人

ヨハネ・ヤジロー 人間はみんな悪人だ、という思いが宗教的な感情。その人間を造ったのは万物の創造主とされる父なる神様。そこで悪事をなかったことにするために、古代から定められた儀式が生贄(いけにえ)や犠牲。その最高の犠牲が十字架にかかられたイエ…

過労死にならないコツ

ヨハネ・ヤジロー 過労死にならないコツは休むことだと誰でも思う。また、休むこと以外にもコツがいくつもあるかもしれない。その中で、まさかと思うコツがある。若くて経験不足ながら働いていたときに知った。 命じられた仕事を重荷と感じていた。その抱え…

パッチ(継ぎあて)

幼いころの日本は物不足だった。それで、傷んだ服や靴下は今のように捨てられることはなくパッチ(継ぎあて)をすることにより長く使われていた。 そのとき、継ぎあてをする布は同じくらい使われた古いものが良かった。見た目に不自然さを感じないだけではな…

楽しく働く

ヨハネ・ヤジロー 「働くのは重荷を背中に担いで運ぶようなものだ」と感じた経験は、誰にでもあるでしょう。 マタイによる福音書11章28~30節(ギリシア語新約聖書ネストレ・アーラント28版:底本)にはこのように書かれています。 「さぁ、みんな来…

ゆるす

ヨハネ・ヤジロー 「ゆるす」ということは大切だ。人にできることで「ゆるす」ことは多くの問題を解決することになる。「ゆるさない」とか「ゆるせない」という言葉は、よく耳にする。 でも「ゆるす」という言葉は聞く機会が少ない。「ゆるす」ことができる…

元気に生きる

ヨハネ・ヤジロー 元気に生きていきたい。ピンピン生きてコロリと、ピンピンコロリと死にたい。 ある人は言う。人間の象徴アダムは農夫だった。死ぬまで農夫をやっていればピンピンコロリと死ねる。それで、人はエデンの園を追い出されて額に汗をかきながら…

豚と多神教

ヨハネ・ヤジロー 豚は多神教を暗示します。ローマ皇帝アウグストゥスが「余はヘロデの息子であるより豚であった方がましだ」という言葉はイエス様が生まれる少し前にヘロデ王が妻のマリア妃(ミリアム王女)を殺しただけではなく、彼女との間にできた息子た…

勇気と信仰

ヨハネ・ヤジロー 勇気のない信仰はもろい。何かあると大騒ぎをする。個人的にも、そのような恥ずかしい経験が私にはあります。「小心というか信心が小さい、信仰が薄い」と想定外のことが起こったときに思います。 評判の良い人の周りには、その人について…

休憩

ヨハネ・ヤジロー 疲れた時は休憩する。労働に関する法には詳細に書かれてあり、その詳細も時代や国の実情と供に変化していきます。その法の源流で今も生き続けているのは、イエス様の愛に基づく言葉です。 マタイによる福音書11章28~30節です。新共…

犠牲による愛

ヨハネ・ヤジロー イエスの愛は十字架に代表される犠牲による愛。これは頭や心で思っても簡単にできるものではありません。マタイによる福音書8章16節~22節を読み、思いました。 その16~17節。 「それで、夕方には、悪霊に苦しむ多くの人(病人)…

身代わり

ヨハネ・ヤジロー 働き方について細かな法律があり、また、そのような法律ができるそうだ。中身が複雑で、もっともらしく聞こえる。しかし、人にはそんなに複雑な生き物なのだろうか。 定期的に休めれば、過労による問題は何も起きない。そう思う。そのこと…

過労死

ヨハネ・ヤジロー キリスト教の教会に日曜日に来る人々は休むために教会に来ている。 私の楽しい休み方は、教会から人が帰って行ったときにある。誰もいない礼拝堂で十字架を見上げる。瞑想(めいそう)をする。迷走であってもかまわない。祈りにならぬ祈り…

風と悪霊

「病(やまい)は気から」という言葉があるように心と体の関係は連動しています。心が病気になると体も病気になりやすい。また、体が病気になると心も病気になりやすいものです。最悪は両方ともに病気が進行することです。それで、薬でも飲んで、強制的に体…

花嫁の父

ヨハネ・ヤジロー 花嫁の父として経験をつい最近した。娘に結婚相手がいることを知ったのは去年のことだった。詳しい時期など覚えていない。ショックであったことは記憶にある。心理学の本を再読するなど、自分自身の心に生じた思いを正直に見つめた。時間が…

信仰

ヨハネ・ヤジロー 信仰と宗教は違うと思うのです。宗教は伝統や文化などの中に浸透をしていますので日常の平凡な生活のときには意識しないことが多いものです。それで、葬式や結婚式、お祝いごと、宗教的な行事つまり礼拝などのときに意識をしますか。 とこ…