イエスの愛

イエス・キリストの愛についての日記

 

ゾロアスター教 三五〇〇年の歴史 (講談社学術文庫)

ゾロアスター教 三五〇〇年の歴史 (講談社学術文庫)

 

 

  日本人の中に「キリスト教の神と日本の神は違う。日本の神は八百万の神というように日本には多くの神がいる」という人がいます。

これは、不思議な話なのです。

それは、なんと言いますか。元々、神という言葉は、日本語も聖書の原語も同じように使われていたからです。

 何か、力がある存在に対して「神」という言葉を使ったのです。人間だけではありません。自然に存在するものには使いました。すると八百万の神という言葉も特に日本だけの概念ではありません。新約聖書時代、ローマ皇帝を現人神として認めさせてユダヤ人をローマは治めようとしました。ただし、多くのユダヤ人はローマ皇帝を神として認めませんでした。ユダヤ人を搾取する人を神と思いたくありませんから。そして、対ローマ戦争、つまり、ユダヤ戦争を起こしてユダヤ人は自分たちの国を完全に失います。

ユダヤ人が国を回復したのは第2次世界大戦後です。

 しかし、実際には、ユダヤ人のご先祖様の多くも様々な神を信じていました。聖書に書いてあるとおりです。すると、古代のユダヤ人も今の日本人と同じようなものです。

 さて、キリスト教として、神としているのは天の父、聖霊イエス・キリストです。でも、これらの御三方は同じ神様としてキリスト教徒は信じています。それは、神様の本当の姿を3つの方向、3つの視点から見た場合に天の父、聖霊イエス・キリストとなるからです。天使と呼ばれる神もいます。それでも、キリスト教一神教と呼ばれています。すると、キリスト教仏教と何か似ていると思う日本人もいるでしょう。

 えぇ、それで、日本人は簡単にキリスト教徒になれるのです。

それでは、困る人達も多くいました。すると、世界の歴史共通の迫害です。キリスト教徒を日本人として扱わない厳しい差別制度がつくられました。江戸時代が何代も続いたので、多くの日本人がキリスト教徒になることは日本人をやめること、お墓のことで、遺産の相続もできないと思い込むようになったようです。周りの日本人を見てそう思いました。

 少し話を戻しまして、世界宗教のルーツを同じ所と見る見方もあります。メソポタミア文明が栄えた所です。ゾロアスター教が研究されています。このゾロアスター教のお坊さんたち(マギ僧)がベツレヘムの星を見て、幼子イエスに会いに来ました。

 マギはマジックの語源です。つまり、マギ僧は魔術師のご先祖様とでも言いましょうか。今風には、星にこだわれば、天文博士ですか。東方の博士はマギ僧です。科学と魔術が分離したのは最近のことです。それで、今は、魔法使いはいなくなりました。

つまり、宗教は発展して行くものでもありますが、発展していく段階で科学と分かれています。そのように、発展していく段階で、神様の本当の姿が見えてきます。それは、個人の信仰も同じです。書いている本人も少しずつ見えて来ていて、続きは来世と思っています。神様の一日は、人にとっては千年のようなものという言葉があります。見えてきていると言ってもたかが知れています。大したことはない。いや、それどころか、一生かけて、少しだけ見えるものと思います。神という言葉が、その代表です。

 さて、一神教の神様をヘブライ語でエローヒムという場合があります。つまり、一神教の見方で聖書の中において書くときには単数形として表現します。くっついている動詞は単数形です。しかし、複数形で扱うときもあります。多神教の見方で書くときは、複数形なのです。複数形として表現されているかどうかは動詞を見ればわかります。当然、複数形です。

 つまり、日本独自の宗教はないのです。キリスト教は日本仏教神道を一つにしたようなものです。キリスト教の中では仏教神道は一つに統一できるのです。その証拠に仏教徒でありながらお宮参りをしても違和感がないでしょう。

 最後に、「神も仏もあるものか」と思う苦しいときがあります。そのときに、キリスト教徒はイエス・キリストに頼ります。苦しい時の神頼みをするときの神様は、キリストです。キリストの意味は救世主、救い主ですから。それは、イエスの愛を信じているからです。