イエスの愛

イエス・キリストの愛についての日記

イエス・キリストの愛ー十字架での叫び

 

Biblia Hebraica Stuttgartensia

Biblia Hebraica Stuttgartensia

 

 

  昭和の時代に流行った歌をユーチューブなどで聞くことがある。その中でイエス・キリストの十字架での叫びを思い起こさせる歌がある。「夢追い酒」という歌だ。

つまり、「あなた なぜ なぜ 私を捨てた」というフレーズだ。

 一方、イエス様の十字架での叫びは福音書によるとこうだ。

「わが神 わが神 なぜ 私を捨てた(見捨てた)」

 キリスト教一神教だから、神様と信者の関係は男(夫)と女(妻)の関係が基本。カトリックの修道女は独身だが、彼女らの意識がイエス様と結婚していると意識と連動する。また、父と子の関係にもたとえられる。信者は神の子。仏教で信者を仏の子というのと似ている。

 まぁ、とにかく、神様と信者の関係は熱い愛の関係。旧約聖書の中に「雅歌」という男女の愛を歌った歌が収められているほどだ。

戒律の基本「十戒」の一番目に来る熱さ。旧約聖書の中にある「出エジプト記」20章の最初にモーセイスラエルの民に語った言葉(第一番目の戒め)はこうである。

「神様は語られた。これが語られたすべての言葉だ。

私は主(ヤハウェ)あなたの神。奴隷の家エジプトの国からあなたを連れ出した。

あなたには私のほかに神(神々)があってはならない。

あなたのために偶像を作るな。また、あらゆる絵を。天地や水の中にあるものの。

それらをあなたは拝むな(ひれ伏すな)。仕えるな。

なぜなら私は主(ヤハウェ)あなたの神。ねたむ神(熱情の神)。父祖らの悪を

子孫の三代から四代にわたり罰する。私を憎む者として。

しかし私を愛する者や私の戒めを守る者には何千代にわたり恵みを与える。」

 つまり、クリスチャンは不倫に厳しい。破門に至る宗派もある。破門といっても救いがあるのがキリスト教。キリストの意味は救い主、救世主だから。

 イエス様の「放蕩息子のたとえ話」にあるように回心して神様のもとに帰ってくれば何とかなる、つまり、救われる。不倫した女(信者)でも神様は見捨てられない。

 なぜか。イエス様は捨てられた者、見捨てられた者の気持ちを十字架の上で経験されたからだ。真っ暗な奈落の底に突き落とされたような苦しみの中でうめき叫ばれた。

「わが神 わが神 なぜ 私を捨てた(私を見捨てた)」

 それはまた、旧約聖書の賛美詩集(詩編)22番(編)にあるダビデの歌を思い出させる。

 

 わが神 わが神 なぜ 私を捨てた(見捨てた)

 遠く離れて 私を救わない

 私がうめき叫んでいるのに

 私の神様

 昼に私は叫ぶ 夜にも 私は黙っておれない

 なのに あなたは聖なる方 イスラエルが賛美する御座におられる

 あなたにわれらの先祖は信じて頼った 信じて頼ると先祖は救われた

 あなたに叫んだ(祈った) すると救われた。

 先祖は信じて頼った そして辱められなかった

 だが 私は虫けらだ 人ではない 恥辱の人 人にさげすまれた人

 みんなだ 私を見る者は くちびるを大きく開き 

 その頭は波打ち 私をあざけるのだ

 「主(ヤハウェ)のもとに転がり込めよ 救われるさ お気に入りなのだから」

 

  そして、イエス様の十字架を心で見つめると、イエス様の愛は絶望的な暗闇の中でも光を放っていることに気がついた。