イエス・キリストの愛ー武士道
久しぶりに新渡戸稲造の武士道を読んだ。武士の流れをくむ人がクリスチャンになった場合において、どのように思うのか。それを学ぶ上で貴重な本だ。
国というものが存在する限り、その国が平和を保っていくには、その国なりの制度が必要だ、ということは歴史が証明している。その制度が変わるときには多く血が流されている。あらゆる破壊を伴うことが多い。そのような変わる時期に生きた人の言葉は貴重だ。
滅んでいった封建制度の第一の目的は何だったのだろうか。それは、やはり平和をつくることが目的ではなかったのではなかろうか。
そうしたら、今の民主主義もそうだ。憲法改正の主眼も平和をつくることだ。
イエス様は「平和をつくる人は神の子と呼ばれる」と極めて高く祝福されている。
しかし、平和は戦争反対と唱えるだけで実現しない。法治主義を履き違えるとファリサイ派の犯した過ちを繰り返すだけだ。彼らの過ちはイエス・キリストを十字架につけることに賛成したことだ。この時代は十字架につけられる人が多い時代であった。それは、時代が大きく移り変わろうとする予兆であった。
しかし、このようなとき、多くの人の血が流されぬようにするには、天命への従順とそれに伴う犠牲が必要であった。このような犠牲を伴う愛の最高峰にイエス・キリストの十字架はある。
武士道―人に勝ち、自分に克つ強靭な精神力を鍛える 知的生きかた文庫
- 作者: 新渡戸稲造,奈良本辰也
- 出版社/メーカー: 三笠書房
- 発売日: 1993/01/01
- メディア: 文庫
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