犠牲
世の中でうまく回転をしている所を調べてみると誰かがどこかで犠牲になっていることが多い。空しい議論や言い訳しかないような所には、貧乏と病気が忍び寄ってきている。死を座して待っているようなものだ。理屈で人は生きていない。犠牲で人は生きている。その犠牲の代表がイエス・キリストの十字架。
そこに真の愛があるのだけど、イエス様は難しいことを弟子たちに言われなかった。最高峰にある言葉とはそのようなものなのだろう。十字架に架けられる日が間近に迫ってきたとき、ヨハネによる福音書によればイエス様は弟子たちにこのように言われた。
「これが、ぼくの教えや諭(さとし)、戒めだよ。
互いに愛し合いなさい。そうだよ、ぼくが君たちを愛したように。
誰も持てないような大きな愛だよ。友のために自分の命を捨てるのだから。」
このようにイエス様は難しい言葉を言われなかった。行うことが難しい愛を言われた。そして行われた。