イエスの愛

イエス・キリストの愛についての日記

闇に輝く光

  

「闇に輝く光」   イエスの愛   ヨハネ・ヤジロー

 

 ヨハネ福音書では、イエス・キリストを闇に輝く光と述べている。旧約聖書の最初は創世記で、世界は闇の状態から始まる。その闇の姿は認知できなかった。光がない限り。

 そして今もなお、人は闇を深い深い位置に内蔵している。その闇は人に様々な行動を起こさせる根源となっているように思える。エネルギーを持っている。その闇をなくすことは誰もできない。

 その闇を植物の実にたとえよう。それはあらゆる種類の実であろう。それらの実の中に善悪を知る実があるだろう。

 人がもしも善悪を知ればどうなるのか。人は自分自身が罪を犯す存在であることを知る。善も悪も闇の中に内蔵をされているからだ。つまり、人は善も悪も行う存在ということだ。この矛盾を人は一人の人の中に内蔵させている。

 あまりにもひどい話だ。内蔵する闇のために必ず人が罪を犯すのなら、何故、そのような存在を神様は造られたのか。そこに創造の秘密がある。神様は聖書では万物の創造主であると述べられている。創造とはいつも良いものを作り出すわけではない。

 悪いものも作り出す。その結果、人は善悪を知る。悪い思いや行いも作り出す。

毒の実を食べれば毒消しが必要だ。その毒消しの実を救いの実とも言う。また、闇に輝く光、または、イエス・キリストの愛とも言う。

 

マルチン・ルター―生涯と信仰

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