イエスの愛

イエス・キリストの愛についての日記

創造主の愛

                         ヨハネ・ヤジロー

 イエスの愛を思うときに忘れてはならない神様の愛のイメージというか基礎がある。

それは、世界の主流である一神教に共通する神様のイメージでもある。神様が万物の創造主であるということだ。これは共通の聖典に創世記があることからもわかる。このように誰もが知りすぎていることを何でここで書いているかというと神様の愛の基礎が、神様が万物の創造主であることによる。そうでないと「未熟な人間の愛」と「完全な神様の愛」の違いがピンとこないからだ。もちろん、未熟な愛は、時の経過とともに完全な神様の愛に近づいて行くものだから、違いがあると言っても異質なものではない。ただ、時間的なスケールと空間的なスケールに巨大な違いがある。

 たとえば、人間が住む地球を神様は、どのくらいの時間をかけて造られたのだろう。その地球に我々人間を登場させるために神様はどのくらい時間をかけられたのだろう。すると、神様の愛に比べて、我々人間の愛はあらゆる角度または面から見てもスケールが小さすぎる。

 まぁ、つまり、人間の愛というのは、神様の愛に比べて豆粒よりも小さくても何も不思議ではないので、そのスケールの違いから来る当たり外れがあるのは避けられない。的外れな愛をいくらでも人間社会で見ることができる。身近なことでは、親子間の愛、男女間の愛など。相手を愛しながらも、お互いに愛し合っていると実感できないことがよくある。また、見ることができる。そして、憎しみが生まれ、悲劇が起きることもある。

 そこの所を現実に応用できるように、イエス様はこう親切に語られている。

「よく言われているので、聞いたことがあるでしょう。

あなたのそばにいる人、近しい人を大切にしなさい。(汝の隣人を愛せよ。)

そして、敵を排除しなさい(汝の敵を憎め。)と。

だけど、私はあなた達に言う。

憎い人、敵を愛しなさい。あなた達を責める人のために祈りなさい。

父の子となるためです、天にましますあなた達の。父は ご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正義の人にも不正の人にも雨を降らせてくださるではありませんか。

愛してくれる人を愛して、何の報いがありますか。あの税金取りでもしているではありませんか。

兄弟、仲間、同胞にだけあいさつする。何かすばらしいことをしていますか。外人(異教徒、異邦人)でもしているではありませんか。

だから、あなた達は完全となりなさい。あなた達の天の父が完全であられるように。」

(マタイによる福音書5章43~48節)