クリスマス余話
ヨハネ・ヤジロー
今日は12月22日の金曜日。そして、冬至。昼が1年で1番短い日。そして、夜が長い。それにやたらと寒い。嫁さんとちょっと口げんか。そのせいか、気が滅入りやすい。赤いワインを飲む。その赤さに十字架の上で流されたイエス様の血を思う。人の過ちを赦す血。
金曜日にイエス様は十字架に架けられ日曜日に復活された。日曜日の日が落ちるとクリスマス・イブ礼拝がある。最近、会えない人が来るかも知れない。教会に行こう。
また、マリアが日曜日には赤いお鼻の白い犬を連れてくると言っていたな。
そして、次の日は12月25日。メリー・クリスマス。
世界が明るくなっていくときがイエス様の誕生日。しかし、ちょっとヒネクレてみた。プロテスタントのヨハネス・ケプラーのことだ。ケプラーの法則で知られている天文物理学のご先祖様のような人。宗教改革の嵐が吹き荒れる時の人で、母は魔女の疑いで宗教裁判に架けられる。彼は母の弁護をする。何とか結果を出すが、彼自身も迫害を受けた。カトリックが支持する天動説を膨大な天文データを解析して地動説が正しいと証明するような人ですから・・・彼にとってはこれが神学だったのです。当時、最高の学問は神学です。命がけで学問をしていた。本当の学者だった。
でも、彼にとって、結構な収入になったのが偉い人相手の星占い。その星占いの大先輩が彼にとっては東方の博士たち。新約聖書の底本(ギリシャ語)を見れば彼らのことをマゴスと書いている。彼らもまた天文博士だったが、拝火教(ゾロアスター教)の高僧と思われ、博士ではなくマギ僧とも訳せるかな。
マゴスとかマギとかいう言葉に源泉があるのが英語のマジックと言う言葉。それでも、彼らをマジシャンと訳すのは、今の言葉の使われかたから無理があり、魔術師とか魔法使いのほうがまだ良いか。女性だったら魔女か。
とにかく、マタイによる福音書に記述されている東方の博士たちは、ユダヤの国を属国として支配していたローマ帝国の最強のライバルであったパルティア王国から来たと思われます。パルティア王国は騎馬戦が得意で大平原の戦いでローマ軍を破った実績があります。モンゴル帝国のご先祖様のような国です。あのカエサルは戦死のリスクがあるパルティア遠征に行く準備をしていたときに紀元前44年に元老院で暗殺されました。
そのような国から来た東方の博士ですから、昔、パルティア軍のために殺されかけたこともあるヘロデ大王は、東方の博士たちの言葉にひどく動揺しました。
「どこにおられますか、ユダヤ人の王としてお生まれになった方は。その方の星を日が昇る東で見ました。それで、その方を私たちは拝みに参りました。」
そこで、ヘロデは東方の博士たちを人に知られぬように招いて、あの星が輝き現れたときを博士たちから丁寧に調べました。
さて、ヘロデ大王が死んだのは紀元前4年ですから、イエス様が生まれたのは紀元前4年よりも前であるとわかっています。イエス様が紀元1年生まれと計算したのは昔のカトリックの坊さんで、今では計算間違いだったとされているようです。
そのようなことから、プロテスタントのケプラーは真面目にイエス様の生まれたときを福音書の記事から推測しました。(イエス様の歴史的事実を述べている書物で最も信頼できる書物は福音書といわれています。)
そして、彼は「星が輝き現れた」という言葉に天文学的に注目したようです。
この現象は「新星の出現」「すい星」「星の爆発」「星と星の会合」などの現象と彼は考えたようです。最終的に彼は「星と星の会合」と推測しました。
星と星の会合とは夜空にある2つの星が近づいて来て重なってくるように地球から見えるとき、肉眼で見る人間の目には、2つの星が一つの星のように見えるだけではなく、それらの星一つ一つの明るさよりも明るく見えるために、新しい星が現れたように見える現象のことです。
すると、紀元前7年の5月27日、10月6日、12月1日に三回も魚座で木星と土星が会合をしているとのことです。彼は、その会合を「星が輝き現れた」と東方の博士たちが言ったのではないかと推測しました。
さてさて、話を戻して、ヘロデの取り調べを詳細に受けた後に東方の博士たちはヘロデのもとから出で行きますと見たのです。東の空で見た星をまた見たのです。きっと、10月6日か12月1日です。旅行のしやすさから見れば10月6日でしょうか。
すると12月25日でないので・・・このケプラーの推測をどう思いますか。
まぁ、それでもメリー・クリスマス。それがクリスマスです。