イエスの愛

イエス・キリストの愛についての日記

テスト

                          ヨハネ・ヤジロー

 日本のテストのシーズンも終わりに近づいている。学生時代の苦しみはテストだった。テストされる、そう、試されるのは苦しいもので、イエス様がこのように祈りなさいと言われた言葉の中にもある。マタイによる福音書6章13節。

「試されませんように、さらに、その苦しみや悪からお救いください。」

ギリシャ語の原文(テキスト、底本)そのものは同じなのだけど、口語訳聖書では

「私たちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。」とある。

新改訳聖書聖書では「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」

新共同訳聖書では「私たちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。」

訳が微妙に違います。ギリシャ語(原語)に複数の意味があるからです。テストと誘惑と複数の意味がある言葉をどう訳すかということだったのです。テストという意味は、広くとらえられる言葉ですが、人生におけます様々なテストは、誘惑という仮面といいますか、お芝居によってテストが行われることが多いものですから、試みと訳さずに誘惑と訳したのも意味があります。それで、誘惑と訳さず、試誘という訳もあります。

このような試しは、学生時代のテストのように(入試も含めて)偶然やってこないものもあります。原文から「悪い人から連れ込まれませんように」というイメージを受けますので、単純にといいますか、偶然に誘惑や試みが来るわけではないので、もう少し、一般的に私は「試されませんように」とイエス様の言葉の流れから訳してみました。また、「悪」とか「悪い者」とか訳されている元の言葉(ポネロス、ポ二ロス)は、元々「労苦する、労苦」などに由来する言葉なので「様々な苦しみや悩み」というような意味もあります。入試などは誰も悪い人からの誘惑とは思っていませんから、私は「試されませんように、さらに、その苦しみや悪からお救いください。」と訳しました。まぁ、祈りとは「苦しいときの神頼み」が多いものなのです。

 そう、苦しいから祈るのです。そこでイエス様の愛を知ります。