イエスの愛

イエス・キリストの愛についての日記

休憩

                   ヨハネ・ヤジロー

 疲れた時は休憩する。労働に関する法には詳細に書かれてあり、その詳細も時代や国の実情と供に変化していきます。その法の源流で今も生き続けているのは、イエス様の愛に基づく言葉です。

マタイによる福音書11章28~30節です。新共同訳にはこう書かれています。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。私は柔和で謙遜な者だから、私の軛(くびき)を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。私の軛は負いやすく、私の荷は軽いからである。」

2千年ほど前の言葉の文字を日本語に逐語的に翻訳しているので、時代の変化もあり、現代の日本人にはピンと来にくいかもしれません。特に都市で生活する日本人には。

それで、同じようにで底本にある語順を追いかけながらから日常的に話されている調子で訳して見ました。

「さぁ、みんな来なさい。重荷を負って疲れている人よ。休もうよ。私と重荷を負ってみなさい。知るよ。私がやさしくて謙虚だ、と。身も心も安らぐよ。私との重荷は負いやすいから、軽くなるから。」

 まぁ、現実には重荷そのものは変わらないです。しかし、イエス様のあらゆる言葉を思い出しながら重荷を背負いますと軽くかつげるようになる不思議があります。それはイエスの愛によるものです。

また、イエス様の「休もうよ」という言葉は「休ませてあげる」とも訳されている言葉ですが、この言葉は「ちょっと一休みしましょう」という雰囲気を持つ言葉です。

労働関係の法律で言う休息時間の確保とでも言いますか。軽く言えば「三時のおやつ」ですか。短く寝てもいい。その方が労働効率が良くなることは証明されています。働いている人にとっての上司(ボス)がイエス様のような人だったら過労死などはない。現実には不運なときがあります。それで、このイエス様の言葉が生きてきます。