ゆるす
ヨハネ・ヤジロー
「ゆるす」ということは大切だ。人にできることで「ゆるす」ことは多くの問題を解決することになる。「ゆるさない」とか「ゆるせない」という言葉は、よく耳にする。
でも「ゆるす」という言葉は聞く機会が少ない。「ゆるす」ことができるのは神様だけだと思っている人がいる。
でも、「ゆるす」ことで人の世界は円滑に回っていることは注意してみれば身近には見られることだ。いたずら坊主の「いたずら」を母親がゆるしている姿など。
ふと思い出す。マタイによる福音書9章1~8節を。こう書いてある。()書きは説明用の挿入。
それから、イエスは舟に乗り込まれ(ガリラヤ湖を)渡られて、ご自分の町に帰られた。すると見よ、イエスのもとに(体がマヒした状態の)中風の人が担架(たんか)で運ばれてきた。イエスは彼らの信仰を見られた。その中風の人にイエスは言われた。
「安心しなさい、(我らが同胞、我らの先祖イスラエルの)子よ。あなたの過ちや罪はゆるされている。」
すると見よ(何と)、ある(ユダヤ教の)法師たちはつぶやいた。「この罰当たり。」
するとイエスは彼らの思いに気づかれた。言われた。
「どうして、心の中で悪く思うのか。では、どちらが言いやすいのか。『あなたの過ちはゆるされている』というのと『起きて歩け』と言うのと。では、示そう。人の子に過ちや罪をゆるす権威が地上であることを。」
そして、イエスは中風の人に言われた。「起きて、担架を取れ、家に帰れ。」
すると、彼は起きて家に帰った。それを見た群衆は、おそれた。神様をあがめた。このような権威を人に与えられたことを。
*「人の子」は「アダムの子」とも訳せる言葉。人類の始祖アダムの原罪、つまり、人は生まれながらに過ちや罪を犯す性質があるというイメージを持つ言葉。その人には、また、人の罪をゆるす力があるというイエス様の教えは罪や過ちに苦しむ人を積極的に救う言葉だった。