イエスの愛

イエス・キリストの愛についての日記

パッチ(継ぎあて)

 

 

 

  幼いころの日本は物不足だった。それで、傷んだ服や靴下は今のように捨てられることはなくパッチ(継ぎあて)をすることにより長く使われていた。

そのとき、継ぎあてをする布は同じくらい使われた古いものが良かった。見た目に不自然さを感じないだけではない。新しい布は洗ったときに縮む割合が大きかったからだ。今は縮む割合が少ない布が多いかも知れない。そのようなことに関するイエス様の言葉がある。このような言葉だ。(カッコ書きの部分はギリシャ語底本にはない。読みやすいように挿入した部分)

「誰も(まだ洗っていないような)真新しい布で、古い服の継ぎ当てをしない。その継ぎ当てが(洗うことで縮んで)服を引き裂き、破れがひどくなるから。

 また、新しいワインを古い皮袋に入れない。(当時、皮袋は水、油、ワインを入れる容器として使われていた。)

そんなことをすれば、皮袋は引き裂かれる。(新しいワインが発酵していくときに皮袋に圧力を与えるので、弾力性のなくなった古い皮袋はもたない。)

ワインは流れ出る。また皮袋は(破れて)だめになる。そうするより、新しいワインは新しい皮袋に入れる。そうすれば、両者ともに安全に保存される。」

 このイエス様の言葉を思い出したのは、ある小さな非営利団体の会計に関わったからだ。会計の計算書が説明責任を十分に果たしていないと思った。収入と支出のお金の流れが容易に追跡できなかった。それで、部分的な改善を試してみた。パッチをする感覚だった。うまくいかない。パッチという小細工では新たな破れを生じさせるからだった。それで、全く新しい会計スタイルに変えた。新しいワインは新しい皮袋にいれることにした。それで、追跡調査が容易になった。イエス様を裏切ったイスカリオテのユダは会計を担当していた。財布を預かっていた。ヨハネによる福音書12章6節にあるように着服をしていた。会計の計算書は、このような着服を防ぐとともに着服が直ぐ見抜けるように作られなくてはいけない。金の流れが容易に追跡可能な形を作る発想で苦労をしたときに浮かんだのが上記のイエス様の言葉だった。