イエスの愛

イエス・キリストの愛についての日記

禁じられた遊び

ヨハネ・ヤジロー

 

 人は「禁じられた遊び」をするものだ。それは、イブ(エバ)の子だからだ。

子どもだったころ、母親からこのような言葉で叱られた人はかなりいるだろう。

「こんなことしては、だめでしょ!あれほど言っておいたのに。」

聖書で書かれている神様(主である神)と人間との基本的な関係は親と子。万物の創造主が神様なので、そのようになり、クリスチャンは「天にまします父なる神様」と祈り始めることが多い。その中身も他人には聞かれたくないような内容が大切な祈り。人に聞かれても大丈夫なような祈りは人前でする祈り。そして、秘かに祈る内容は、禁じられた遊びの調子で、過ちを犯したケースが多い。その禁じられた遊びの典型は、禁じられた実を取って食べることだ。冒頭の母親の言葉に代表される。

また、古今東西どこにでもある村の祭りでの乱交を連想する人もいるかもしれない。

聖書の記事では、モーセに率いられた古代イスラエル人が金の子牛という偶像(神)を造って乱交パーティのような祭りを行った。イスラエル人は一神教として知られているが、このような偶像礼拝や多神教の側面もあった。旧約聖書に出てくるイスラエル人は、このようなことを繰り返した。このことが旧約聖書に書かれているのは、これは、今生きている一人の人間にも起きること・・・その危険な性癖、罪を犯しやすい性質を、もともと、人間が持っていることに注意しなさいと戒めるためだ。なぜ、危険か。死という天罰が待っているからだ。死ぬから神様が禁じた・・・霊的に死ぬことを含めた死だ。心が死ぬ。美味しいものを食べても美味しいと感じられなくなる。それなのに人はやる。どんな性癖なのか。

その一つが「禁じられた遊び」をするという性癖だ。具体的には、不倫などの火遊びもその一つだが、比較的程度の軽いもので、飲み打つ買うなどあり、数えきれないくらいの禁じられた遊びに類するものがあるだろう。

 さて、人間はイブの子なのだから禁じられた遊びをする性癖を生まれながらに持っている。その由来を聖書の初めの書「創世記」の2~3章は語っている。

関係する部分だけを簡略的に抜き出していく。

「神様は土のチリで人を造られた。(この土の音訳はアダマーで、赤色系の陶土のイメージ:そのアダマーの形容詞は赤い、血色の良いという意味。人の音訳はアダム。)を形作られた。(神様は陶器師のように人を赤い陶土で形作られた。)

その鼻の中に命の息(別訳:魂、霊)を吹き込まれた。そして、人は生ける魂となった。神様はエデンの園を東方に造られた。(エデン:楽しみ・・・エデンの園の別訳:楽園)(造られたの直訳は植樹した。つまり、神様は植樹により楽園を造られた。)

そこ(楽園)に神様はご自分が造られたアダム(人)を置かれた。

(つまり、アダムは進化論でいうところの人ではないことに注意する。楽園の管理者としてアダムを造られた。)

そして、神様は土(アダマー:アダムの語源)から観賞用のあらゆる木、食用の木、そして、楽園の中央にある「命の木と(神のように)善悪を知る知恵の木」を芽生えさせられた。(中略)

そして、神様はアダムをエデンの園に連れて来られたのは、そこを耕し守らせるためであった。

神様はアダムに命じられた。(イエス様の自称はアダムの子つまり人の子であることに注意)

「楽園のどの木からでも食べて、食べてよい。だが、善悪を知る知恵の木からは、あの木からは食べてはいけない。なぜか、それから食べた日には死ぬ、死ぬからだ。」

ヘブライ語聖書における強調は、朗読を意識しているようで、歌の歌詞のように同じ言葉を繰り返しますので、それを味わってもらいたいために、あえて「決して食べてはいけない」「必ず死ぬ」というような従来の訳し方をここでは避けました。)

神様は言われた。

「アダムが独りでいるのは良くない。彼のために彼女を造ろう。パートナーとしての助け手を。」(以下簡略:神様はアダマーでアダムの助け手として、あらゆる生き物を造られたが、アダムはアダムに見合う助け手を見つけられない。そこで、神様はアダムを深い眠りに落され、彼のあばら骨の一つを取り、女を造られた。それで、アダムは言った。

「今度は私の骨からの骨、肉からの肉、これは男(イィシュ)から造られたのだから女(イシャ)と呼ぼう。」(ヘブライ語で男をイィシュと言います。その小さなィつまり

「’」というようなあばら骨に似たユッドというヘブライ文字を取った形を女性形で呼ぶとイシャつまり女となります。このユッドは彼という意味を持つことがあります。ここいら辺の詩的な面白さは日本語では訳しにくい。イザナギイザナミという男神,女神の雰囲気には近いのですが。アダムとイブは多神教的には男神、女神の雰囲気はありますが。聖書は科学や歴史というよりは文学的な表現をよくします。その中に真理や真実を見出すことが大切で、聖書に進化論を持ち出す人は野暮の骨頂。)

それで、男は父や母と離れて女と結ばれて一つの肉体(一体)となる。アダムと彼女(彼女は直訳で妻とよく訳されている)の二人は裸だった。だが、互いに恥ずかしがらなかった。

そして、神様が造られた中で最も悪賢い生き物は蛇だった。その蛇がアダムの女に言った。「本当に神様は言われたの。楽園のどの木からも食べるな、と。」

すると彼女はその蛇に言った。

「楽園の木から実を私たちは食べれるの。でも、楽園の中央にある木の実については、神様は言われたの。それを取って食べるな、それに触るな、お前たちが死なないため、と。」(それに触るな、とは神様は言われなかった。彼女は神様の言わないことを追加して言っている。つまり、彼女は蛇の言葉に耳を傾けた。過ちの始まり。)

すると、その蛇は彼女に言った。(禁じられた遊びの調子で)

「死なない、死なないよ。だって、神様は知っておられるのだよ。あなた方が食べた日には、あなた方の目が開かれるのですよ。そして、あなた方は神々のように善悪を知るようになるのです。」

そして、彼女は見た。その木が食べるのに良さそう、見るからにおいしそう、賢くなりそう、と。そして、彼女はその木の実を取った、食べた。そして、彼にも与えた。彼女と一緒に彼は食べた。すると、二人の目は開かれた。そして、彼らは彼らが裸であると知った。そして、イチジクの葉を縫い合わせて腰みのを自分たちのために作った。すると、彼らは神様がその日の風に乗って巡回されている声を聞いた。アダムと彼女は中央にある楽園の木(善悪を知る知恵の木)に神様の前から隠れた。

神様はアダムを呼ばれた。彼に言われた。「どこにいるのか。」

すると彼は言った。「あなたの声を園で聞いて恐かったのです。私が裸なので隠れました。」

すると神様は言われた。「誰が教えたのか、あなたが裸である、と。その木からか。私が食べるなと命じておいた木から食べたのか。」

アダムは言った。「あの女です。一緒にいるようにとあなたが与えた女が私にその木から与えました。それで、私は食べた。」

神様は女に言われた。「何でこんなことをしたの。」

その女は言った。「あの蛇が私をだましたの。それで食べました。」

神様は蛇に言われた。「こんなことをしたので、お前は呪われる、あらゆる家畜より、あらゆる野の生き物より。お前は腹ばいに歩くのだ。そして、チリを一生食べるのだ。

互いに憎みあう仲に定める。お前と女は、お前の子と女の子は。女の子はお前の頭を砕く。お前は女の子のかかとを砕く。」(子は子孫という意味)

神様は女に言われた。「私は増しに増す。あなたの妊娠の苦しみを。苦しみの中で子を産むのだ。だが、あなたはあなたの男を熱く求める。すると彼はあなたを治める。」

神様はアダムに言われた。「あなたはあなたの女の声を聞いた。そして、その木から食べるなと私が命じておいた木から食べた。あなたのために地は呪われている。一生、あなたは苦労しながら食べていく。あなたのためにイバラとアザミは芽生えさせる。野菜を食べようとすると。土(アダマー)に帰るまで、あなたは汗をかきながらパンを食べる。あなたが土から取られたからだ。あなたはチリだったのだ。それで、チリに帰るのだ。」

それから、アダムは彼女の名をイブ(エバ:ヘブライ語からの音訳ではハヴァ)と呼んだ。すべての命の母となったからだ。(中略)

神様はエデンの園(楽園)からアダムを追放された。彼が取られた土(アダマー)を耕すために。」

 それで、人は禁じられた遊びの感覚があるせいもあり、苦労する人生を送るのかも知れません。アダムが苦労の初めならアダムの子が苦労から救うべきですか。それで、イエス様はアダムの子(人の子)とご自分のことを自称されていたのでしょうか。