イエスの愛

イエス・キリストの愛についての日記

愛は自慢しない、誇らない

「愛は自慢しない、誇らない」とは、イエス・キリストの愛の一つの側面を表現した言葉です。(第1コリント13章4節)原語のギリシャ語の語源を見てみますと「自慢する」は「うぬぼれが強い」という言葉から来ています。「誇る」は「ふいご」もありますが「生まれ、家系、出身」などという言葉からも来ているようです。

 誰でも、自慢したり、誇ったりした経験はあると思います。たとえば、美しい娘や息子の親だとします。どうしても自分の子を自慢したり、誇ったりする感情が起きます。このことが問題になるのは集団生活をしているときです。大きな集団になればなるほど、生まれや育ちの違いが多種多様になります。気を付けていないと差別という深刻な問題を引き起こします。差別はあらゆる悲劇の原因となりやすい。

 イエス・キリストが自ら伝道されたパレスチナは多民族・多言語社会です。また、古代文明の交差点でもあります。ギリシャ文明、エジプト文明メソポタミア文明です。

特にイエス様が育ったガリラヤ地方は移住などで異邦人の地ガリラヤと呼ばれたところです。そのような所で集団生活していくには「自慢しない、誇らない」という愛が必要だったのです。これは、極東にある日本でも交通機関の発達により同様です。しかも、少子高齢化が進む日本では外国人の受け入れは必然です。私が住んでいる地域でも外国人の子供たちをよく見かけるようになりました。昔は東アジア系が多いので、一見、日本人と見分けがつかないことが多かったのですが、今はそうでもなくなってきています。

 それで「愛は自慢しない、誇らない」という言葉を身近に感じるようになってきました。この言葉の前にはこのような言葉があります。

「もしも、異なる言葉や天使の言葉で私が語れようとも私に愛がなければ私は単に鳴る鐘やシンバルとなる。もしも、予言ができても、あらゆる奥義や知識を得ていても、山を移すに十分な信仰があろうとも私に愛がなければ私はいてもいなくてもよい存在となる。もしも、全財産を施しても誇りのために全身を捧げても私に愛がなければ私は何の役にも立たない。愛はすぐ怒らず親切で情けがある。愛はひどく妬まない。」

ヨハネ・ヤジロー