イエスの愛

イエス・キリストの愛についての日記

愛は不正や不義を喜ばない、公正や正義などの真を共に喜ぶ

 第1コリント13章6節に愛の一部が書かれてあります。

「愛は不正や不義を喜ばない、公正や正義などの真(まこと)を共に喜ぶ」

これは、イエス・キリストの愛(アガペー)ですので、それを承知しておかないといけません。それほどまでに、日本語の愛は意味が広い。英語のlove(ラブ)もそうです。愛があれば何をしても良いとはイエス様は言いません。新約聖書でエロス(男女の愛)という言葉を見つけたことがありません。同胞や家族、友人に関する愛(フィリア)は見つけられます。まぁ、とにかく、アダムとイブの時代から男女の愛は幸福と不幸がセットです。エロスだけでの結びつきは二人の間を保証しません。一体となり、互いを知るためにはエロスという愛は大切な役割を果たします。また、よく見かけるフィリアという愛も大切です。

エロスやフィリアという愛だけでは、愛による保証は完成しません。アガペーという愛が必要です。何しろ、敵をも愛する愛です。これで、戦争があっても平和がつくれるのです。勝てば官軍だけでは、奴隷を生じさせても、人間関係の安全保障は生まれない。

特に怖いのが強者の横行です。横車を押すような真理に反することをするのが、強者の喜びと思っているようでは恨みや不幸が生まれるだけです。そんなことをしていたら、弱者はウソをつくしかなくなる。ウソはウソを生み、強者のウソも生む。この世はうそつきばかりになります。

それで、言葉の使われ方や意味が長い目で見れば変化しやすい。意味が反対になることもある。

それで、第1コリント13章6節の訳は長くなりました。間違って読まれたくない、と思った瞬間、ギリシャ語の原文は短いのに長く訳することになりました。

ヨハネ・ヤジロー