イエスの愛

イエス・キリストの愛についての日記

日本の奴隷制度

 日本は地理的にも歴史的にも個性があり、奴隷制度もそうだ。

奴隷扱いをされている人に「自分は奴隷だ」と思わせない伝統がある。喜んで働く奴隷をつくるのが日本の伝統だ。伝統的な価値観は目に見えない。日本独特の空気のようなものだろうか。しかし、特有の奴隷制度は、どのような害を日本人個人に及ぼしているだろうか。

日本人は、よく「せっかち」だと言われる。奴隷は大量の仕事をさせられるものだ。すると、富を得るには仕事がよくできる奴隷が必要だ。それで、奴隷は仕事を急ぐように求められる。

それで、せっかちな性格が長年にわたり造られた。時間に厳格なことを美徳とすることで、「自分は奴隷だ」と自覚しないですむ。実に巧妙な伝統だ。勿論、何事にも限度というものがある。しかし、「せっかち」になるのは行きすぎだ。そこに奴隷制度の影を見る。また、現実に大量の仕事をするには、急ぐとミスが生じやすい。急がないでやるなら残業しかない。週休二日制を導入して何が増えたのか。残業時間だ。

 つまり、日本の伝統的な美徳の陰に奴隷制度を見る。建前と本音が同時に存在するのは、日本独特の奴隷制度の証明ではないだろうか。

建前という名の偽善で、人を奴隷にするのだ。しかし、建前だけでは、きついではないか。つらいではないか。長時間働かせられて賃金も安いではないか。先進国の豊かな外国人から見れば奴隷だ。その先進国でも、貧しい移民を「本質的には」奴隷として使っている。奴隷制度は一部の人だけが金と時間が与えられる制度だ。

カルロス・ゴーンを見よ。奴隷制度の上に立つには何をすべきかをよく知っている。

ベルサイユ宮殿で結婚式を再婚相手としたことが、彼が何者かであるかを証明している。日本的偽善がないぶんだけ、彼は正直なのだ。それで、生きているときに彼は人の気持ちを知る。奴隷制度を利用した金儲けを知っていたが、奴隷の気持ちも知るようになる。

奴隷は一人では通常働かない。グループで働く。力を合わせて働くように主人は奴隷を軛(くびき)でつなぐ。そして、軛でつながれた牛のように働かせられる。

そこで救い主イエスは言われる。

「私のもとに来なさい。私の軛は負いやすい」と。

実際、経験してみるとわかる。イエス様の軛は負いやすく軽い。そして、イエス様は親切で暖かい。それで、私は思った。私は今まで奴隷として生きてきた。これからも、奴隷としての生活が続くのならイエス様の奴隷になろう。

 まぁ、とにかく、イエス様以上の主人に私は今まで出会ったことがない。

日本の奴隷制度は深く日本に根付いている。それで、私はイエス様の奴隷になった。

しかし、イエス様は私を奴隷としてではなく友人として待遇をしていてくれる。

そして、私の過ちのために身代わりにもなってくれる。ここに十字架の愛がある。こんなに奴隷のことを愛してくれる神様はイエス様にはいない。

ヨハネ・ヤジロー