イエスの愛

イエス・キリストの愛についての日記

休ませるイエスの愛、ヤジロー

 奴隷のような身分に誰でもなりたくない。しかし、母国が戦争に負けますと敵国から奴隷のような扱いを受けることは覚悟しなくてはいけない。裕福な暮らしをしていても大災害で生活基盤を失えば、奴隷のような貧しい生活をするかもしれない。

 借金も恐ろしい。借金で奴隷の気分を味わう人は多い。借金返済のために一生奴隷のように働いている自分に気が付いて嘆く人は多い。古今東西を問わない・・・よくある話です。

 でも、よくよく考えてみたら、ご先祖様のアダムがエデンの園すなわち楽園すなわちから追放されてから、人(アダム)は、額に汗をかいて重労働するように神様から罰を受けたのです。

 それで、人間の心に奴隷の心が存在しているのでしょうか。自由人と奴隷が共存しているような自分自身の体や心。締め切りに追われて過労状態にいる自分を奴隷だと思ったことはありませんか。

 そのようなときに心に響いてきたのが、イエス様の言葉です。マタイによる福音書11章28~30節の言葉です。(ネストレアーラント第28版のギリシャ語原文テキスト)28節は文字通りの順番で読むと詩のようです。

「来なさい、私のもとに、みんな、疲れている人よ、荷を負い続けて。私が休ませる」

とあります。29,30節はこうです。()書きは文字通りの訳。

「私と共に荷を負いなさい(私の軛をかけなさい)。知るよ、私がやさしく謙虚なので魂に休みが来ると。私がやさしく共に荷を負い(私の軛はかけやすく)私の荷は軽いから」