イエスの愛

イエス・キリストの愛についての日記

敵を愛せ

 「敵を愛せ」とイエス様は言われる。さらに言われる。善で報いよ、と。

自分を呪う人を祝福せよ、と。自分を侮辱する人のために祈れ、と。ほおをぶたれてももう片方のほおを向けよ、と。

 実際の問題としては、多くの人は反対のことをする可能性がある。たとえば、隣の国の日本に対する最近の敵対的行為だ。日本人から見れば、敵対行為になる。隣の国の政府が何と言おうと。何を楽しんでいるのだ。相手に怒りの感情を与えて、と思う。

 これから先は戦争になる可能性がある。まずは、武力を用いず、経済戦争だ。

エス様の言葉を日本人だけが行うのか。それはない、相手人も行うべきだ、と思う方は善人だ。悪人に活躍をする場を隣の国の政府は与えた。

言葉の段階は終わった。次の段階は経済制裁という名の戦争になるのか。

 一体、誰が得をするのか。それを冷静に考えてから行動をするときが来ている。

日本が行うべき愛とは、知らん顔をして勝手にほおをぶたせとくことか。

その方が、戦争にならなくてよい。経済戦争でも被害は大きい。誰を得させるために隣の国の政府は行動しているのだろうか。得する人よりも損する人が互いに多いのが戦争だ。クールに愛するときが来ているのだろう。熱くなるのは危険だ。多くの犠牲者を出すだけだ。犠牲は避けられない。少数の犠牲ですむ愛が必要だ。十字架を見つめる。