男女同権
男女同権について、イエス様の愛ある言葉について書いてみます。
今でもそうかもしれないですが、男女同権と思わない人が、男性も女性もいます。
イエス様の時代には、男女同権と思わない人が主流だったようです。たとえば、お客様が来ると女性の役目は料理などを出す奉仕のおもてなしです。安息日(休日)でもそうです。
安息日は夕方から始まり、次の日の夕方で終わります。日曜日を休日としますと土曜日の夕方から日曜日の夕方までが安息日です。これは1日の定義です。創世記1章にあります。「夕べがあり、朝があった。第〇の日である」という表現があるように、1日は夕方から始まっていました。今は、曜日の感覚で1日の感覚にずれがあるかも知れない。
でも、仕事を休むことを考えたら、一日の始まりは夕方からの方が良いでしょう。それで、夕方の残業で嫌われるのは金曜日の夕方です。金曜日の夕方に飲食をみんなで楽しむのが安息日の感覚です。ユダヤ教の安息日は金曜日の夕方から始まります。キリスト教は土曜日の夕方です。
すると、お客様などが来て料理を楽しむのは土曜日の夕方です。安息日に家事などの労働は休日ですからしないので、料理の準備は土曜日の夕方前に終えます。掃除も。
そのような土曜日の夕方に楽しくお客様と一緒に座って話を楽しむのは、典型的な安息日の過ごし方でしょう。
でも、男女同権でないと、料理や話を楽しむのは、男性だけで、安息日と言うのに女性はおもてなしの料理をだすなどの奉仕で忙しいことになります。
休日がなく働く人を奴隷といいます。人ではない。奴隷です。休日に休めるのが、人です。奴隷でない人には休日がある。休みがある。たとえば、料理を男女ともに楽しむのが男女同権です。
では、それに関係するイエス様の言葉をルカによる福音書10章38から41節に見ることができます。
{(イエス様の)一行がある村にやって来ました。マルタという名の女性がイエス様を家にむかい入れました。そこにはマリアと呼ばれる彼女の妹(原語は姉妹ですが、妹とここでは訳しています)がいました。マリアはイエス様の足元に座って、イエス様の言葉を聞きます。
でも、マルタはたくさん奉仕をしなければと取り乱していたので、イエス様に近寄って言いました。
「主よ、私の妹には問題がありませんか。私だけにおもてなしをさせているのですよ。言ってください。私の手伝いをするように。」
それで答えて、主は彼女に言われました。
「マルタ、マルタ、多くのことで取り乱しているね。でも、必要なことって少ないよ、一つだけだよ。それで、マリアはね、その一番良いものを選んだのだよ。それを彼女から取ったらいけませんよ。」}
安息日の理想的な過ごし方は、イエス様に近寄って、そのお話に耳を傾けること。
安息日に奴隷のように働いていますとマルタのような言い方をイエス様にするものです。祈るものです。その点、マリアは男女同権と思っていたようです。イエス様からも喜ばれていました。そう、神様を一番目に愛した。イエス様を一番大切にした。
男尊女卑の奴隷でいたら、イエス様から喜ばれません。また、イエス様のこの言葉からイエス様は男も女も同等の扱いをされていました。
ヨハネ・ヤジロー