イエスの愛

イエス・キリストの愛についての日記

愛と好きの違い

 愛と好きの違いは、キリスト教を通してみないと見えないものです。

日本人が使う「愛」という言葉の使い方が広範囲なものですから。

キリストの愛と好きの違いと言うと明確に違いが見えてきます。

 キリストの愛でよく知られている言葉は「汝の敵を愛せよ」です。

敵を愛する愛ですから、好きとは全く違う愛です。

これは、敵の基本的人権を尊重するときにもよく見られる愛です。また、関係修復のときにも必要な愛です。

この愛がないと家庭平和どころか社会秩序は保たれません。人類の歴史は行きつく先は殺し合いで終わりに向かうことでしょう。

 好きなだけの愛はもろいものです。好きと嫌いとは硬貨の裏表のように一体のものですから、好きなだけで一つになった男と女の愛は「嫌い」と言う裏面が出たときに破局が簡単に近づきます。このとき、敵を愛するキリストの愛を実行すると関係修復が可能となります。平和は敵を愛する愛でつくられることがあります。

 キリストの愛には自己犠牲も含まれます。究極の自己犠牲は、よく知られているようにイエス様の十字架にかかられた姿です。悪いことをしてもいないのに他者のために犠牲となるケースがあると、世の中には平和がつくられる。

 この自己犠牲による慈悲深い「愛」がある所に人が生きていける世界が生まれます。

また、人を赦すという慈悲がないところに持続可能な人間関係はありません。

 これは「好き」なだけの感情では存在しない人間関係です。

全ての人を好きになることは、実行すればわかることですが、不可能であることを思い知らされます。しかし、キリストの愛で全ての人を愛することはできます。