イエスの愛

イエス・キリストの愛についての日記

法と予言者

法と予言者

                          ヨハネ・ヤジロー

 

 今の日本は法治国家なのですが、その基本は聖書に書いてある法と一致しますが、その聖書は日本という国ができる前に書かれたもので、法の歴史は聖書の成立よりも古い。それは考古学的にも証明されていると聞いています。

 その法の根本的な基本をイエス・キリストは短く言われました。

「何でも人にしてもらいたいことを人にせよ。これが法であり、予言者(預言者)なのだ。」(マタイによる福音書7章12節より)

 シンプルな言葉ですが、予言者モーセが神様から授かった十戒の中にある三つの言葉「殺すな、犯すな、盗むな」(出エジプト記20章13~15節)で、その言葉の素晴らしさをチェックしてみます。

「自分を殺してもらいたくない、自分を(性的に)犯してもらいたくない、自分から盗んでもらいたくない」ものです。それで、「人を殺さない、人を犯さない、人から盗まない」。これが法の心であり予言の心なのです。

予言ですから、今を含めてこれから先のことへの神様の教えや諭しまた戒めですので、現在の法律に明記されていないこともイエス様の言葉を借りれば、法といえます。日本の法律に今は明記されていないからといって日本で悪いことをすれば、法を犯したことには間違いはありません。人の裁きを免れても天の裁きは免れません。

 この言葉の前にあるイエス様の言葉も連動していますので部分的に書いてみます。

「聖なるものを犬に与えるものではない、君たちの真珠を豚の前に投げ与えるものではない。さもなければ、足で踏みつけるや、振り向き、君たちを咬(か)み裂くだろうよ。

求めよ、されば与えられん。探せ、されば見つけられん。たたけ、されば開かれん。

誰でも、求める者は与えられ、探す者は見つけられ、たたく者には開かれるのだ。

また、パンを求めるわが子に石を与える人などいない。また、魚を求める子に蛇など与えない。それで、君たちが(たとえ)悪者であっても、わが子には良いものを与えたいもの。ならば、天にまします君たちの父(神様)は、求める者に良いものをもっともっと与えられるのだ。

それで、何でも、人にしてもらいたいことを人にせよ。これが法であり、予言者なのだ。」(マタイによる福音書7章6~12節)