イエスの愛

イエス・キリストの愛についての日記

2019-01-01から1年間の記事一覧

偽善者の正体

イエス・キリストが最も嫌われたのは、不信仰の人ではない。不信仰の人は偽善者によりつくられることもあるので、最も質の悪いのは偽善者である。 不信仰の人は偽善者による被害者である場合がよくあるのだから、不信仰の人には救いがある。信仰心を持たない…

うつ病

うつ病にならないために何をすべきか・・・シンプルですけど、イエス様の言葉(福音書・・・新約聖書の最初の4書)を読むことはおすすめできます。 イエス様の言葉だけピックアップして最初から読み続けると絶対にうつの状態から回復できる言葉に出会います…

罪とは何か

罪とは何か、と日曜日の聖書セミナーでの会合で考えさせられました。 学生時代にクリスチャンになった人は、欧米の罪の概念を素直に受け取っている人が多い。でも、日本人として生きて来て、クリスチャンになるのが遅かった人は、仏教用語の方が理解しやすい…

罪とは何か

罪とは何か、と日曜日の聖書セミナーでの会合で考えさせられました。 学生時代にクリスチャンになった人は、欧米の罪の概念を素直に受け取っている人が多い。でも、日本人として生きて来て、クリスチャンになるのが遅かった人は、仏教用語の方が理解しやすい…

神様と悪魔の違い

神様と悪魔の違いは、現実の生活や仕事の中で見抜くことは難しいものです。 それで、聖書によく書かれてある言葉がキーワードになります。 それは、神様は真理である、真実である、という言葉。 そして、悪魔は偽りの父であるという言葉。 つまり、神様は本…

異端と寛容

異端に寛容なのはクリスチャンで異端に厳しいのは教会という不思議な現実があります。 イエス・キリストの愛には、寛容が第一番目に上げられます。 イエス様をモーセやムハンマドと同列の予言者にすれば、イスラム教になります。 クリスチャンが聖書の中で良…

聖書の限界

クリスチャンの一部にある「聖書中心主義」には限界があります。 聖書に限界があるからです。聖書の記述に関する人間の持つ表現能力に限界があるからです。 クリスチャンでもプロテスタント系の人たちは聖書中心主義の人が多い。 聖書中心主義の限界は、聖書…

聖書中心主義の限界

クリスチャンの一部にある「聖書中心主義」には限界があります。 クリスチャンでもプロテスタント系の人たちは聖書中心主義の人が多い。 聖書中心主義の限界は、聖書を神様よりも上に置くことが不可能なことから来ます。 神様が一番上なことは永遠に変わりが…

異端

宗教で異端という言葉は、幅広く使われる。 誰でも異端と思うのは、詐欺師が頭にいる宗教、宗派、教団、教会である。 キリスト教で、ややこしいのは、神父や牧師が詐欺師の場合。この場合は、特定の教会を指すので、そこの宗派が異端とはならないからだ。し…

愛と好きの違い

愛と好きの違いは、キリスト教を通してみないと見えないものです。 日本人が使う「愛」という言葉の使い方が広範囲なものですから。 キリストの愛と好きの違いと言うと明確に違いが見えてきます。 キリストの愛でよく知られている言葉は「汝の敵を愛せよ」で…

不敬罪な祈り?

不敬罪を犯している事実の確認は誰がするのだろうか。 犯している本人よりも第3者だ。日本語の使い方が不適切な不敬罪は、国語の辞書を引いただけで簡単に判断できる場合がある。 すると、日本の教会で、一部ではあるが、日曜日ごとに不敬罪な祈りが発せら…

最後のアダム

最後のアダムという言葉は、聖パウロが書いた第1コリント15章45節にある言葉です。こうあります。 「(聖書に)『最初のアダムは命を授けられた』と書いてあるでしょう。最後のアダムは命を授ける霊となったのです。」 最初のアダムは誰もが知っている通り…

滝廉太郎と讃美歌

天才作曲家であった滝廉太郎は、クリスチャンであり、今度、新5千円札の顔になる津田梅子は、キリスト教会で、滝廉太郎の弾くオルガンで讃美歌を歌っていたと思われます。 荒城の月は欧州の一部では讃美歌の曲として使われています。それで、滝廉太郎の花と…

みじめさからの救い

惨(みじ)めな経験は誰でもするものだけど、ある日、突然、死ぬときがやって来る。そして、惨めなままに死ぬことがある。 大災害や戦争もそうだけど、交通事故に巻き込まれて一瞬のうちに予想もせずに死ぬこともある。しかも、年齢も赤ちゃんから高齢者まで…

休みましょう

最近、ある人から聞かれた。 「どこの教会(キリスト教)に行けば良いのでしょうか」 私は答えました。 「日曜日に教会は開いています。最寄りの教会に日曜日に行くことです」 彼は言います。 「いや、私が聞いているのは、どこの教会に行くべきかです」 私…

男女同権

男女同権について、イエス様の愛ある言葉について書いてみます。 今でもそうかもしれないですが、男女同権と思わない人が、男性も女性もいます。 イエス様の時代には、男女同権と思わない人が主流だったようです。たとえば、お客様が来ると女性の役目は料理…

敵を愛せ

「敵を愛せ」とイエス様は言われる。さらに言われる。善で報いよ、と。 自分を呪う人を祝福せよ、と。自分を侮辱する人のために祈れ、と。ほおをぶたれてももう片方のほおを向けよ、と。 実際の問題としては、多くの人は反対のことをする可能性がある。たと…

人の愛と神様の愛

人の愛は人生経験を積んでいけば、それなりに知っていけます。でも、神様の愛は全てを知ることは無理です。人間のレベルでの比較でも存在期間が全く違います。人間は百歳も生きれば長寿です。でも、聖書で述べている神様は、人よりも前から存在しているから…

休ませるイエスの愛、ヤジロー

奴隷のような身分に誰でもなりたくない。しかし、母国が戦争に負けますと敵国から奴隷のような扱いを受けることは覚悟しなくてはいけない。裕福な暮らしをしていても大災害で生活基盤を失えば、奴隷のような貧しい生活をするかもしれない。 借金も恐ろしい。…

十字架におけるイエスの愛、ヤジロー

イエス・キリストの愛は、十字架の愛が一番です。 十字架の愛は、罪などに苦しむ人を救うために、罪の身代わりとして、身代わりの犠牲で、イエス様が十字架に架かられた愛です。これは、イエス様の祈りにある「御心がなりませ」という祈りと連動していて、キ…

誰でも過労死の危険

ヨハネ・ヤジロー 誰でも過労死をする危険がある。交通事故で死人が出るのと同じだ。 これは、世界共通の危険で古代からある。つまり、奴隷が存在したときからだ。 古代の戦争の目的は単純だった、と歴史の先生が言うのを学生時代に聴いた。 つまり、戦争に…