イエスの愛

イエス・キリストの愛についての日記

クリスマス余話

 

星の古記録 (岩波新書)

星の古記録 (岩波新書)

 

 

                        ヨハネ・ヤジロー

 今日は12月20日の木曜日。今いる福岡は暖かい。金曜日にイエス様は十字架に架けられ日曜日に復活された。日曜日はクリスマス礼拝。次の日の夕べにはクリスマス・イブ礼拝。最近、会えないマリアも来るかも知れない。教会に行こう。そして25日。メリー・クリスマス。

 日が短くなってもクリスマス辺りを境に日が長くなって来る1年の境目が、キリスト降誕祭。英語ではChristmasつまりキリストChristとマスmasの組み合わせ、マスは祭りなのでキリスト祭り。しかし、英語のChristmasをキリスト祭りなどと素直に訳さず、日本ではクリスマスと訳している。世界最大のお祭りに日本人も参加するとき、キリスト祭りとかキリスト降誕祭とか救世主降誕祭とか訳さずにクリスマスとどうして訳したのかな。

日本の歴史等の影響を考えなければ、サンタのおじさんのプレゼントの方が天の父なるプレゼント、神の子イエス・キリストよりも大切と思って、キリスト祭りとかキリスト降誕祭と訳さず、クリスマスと訳したのかな。蛇足だけど英語のXmasのXはギリシャ語のキリストΧριστοσの頭文字。

キリストをヘブライ語ではメシア(救世主、救い主:文字通り訳せば、油注がれし方。聖なる油を頭に注いで聖職に任命する儀式に由来して、任命された最高クラスが救世主なので、主に救世主という意味に使われるようになったのかな)。メサイアもメシアつまりキリストのこと。「油を注ぐ」という動詞クリオ(キリオ)の名詞がキリスト。この油はオリーブ油(オイル)。インドや東アジアの灌頂の儀式との違いは水と油の違いなのだけど、これにはオリーブ栽培の有無が影響をしているかもしれない。とにかく、キリストという言葉には伝統的な儀式を感じる。

 このようなお祭りの日を定めるには政治的な配慮がいるのが、世の常で、闇の支配が強まっていくときから光の支配が強まっていく境目あたりの日、つまり、日が短くなっていくときから日が長くなっていく境目あたりの日にクリスマスの日が選ばれたのだろうけど・・・その詳細を語るのは避けられたかも知れない。異論や意見など、このようなときには多く出るので、楽をするには少数の者による秘密会談が良い。クリスマスは、メリークリスマスといって楽しむものだから。お祭りなのだから。

 つまり、クリスマスの日を定めた人々にとっては、大多数の共感を得ることの方が、大切だったので、真面目にイエス様がキリストとしてお生まれになった日を特定することは、それほど、大切ではなかった。共感を得るという政治の方が大切だった。

 しかし、世の中の進歩や発展のためには、政治的なセンスがない人も大きく役に立つことがあるもの。神様が造られたこの世界は例外だらけで政治的な常識などでは裁けないことが多い。その政治的なセンスのなさというか、意図的にカトリックの政治を無視した純粋な天才というべきか、キリストのお生まれになった日を特定しようとした天才がいる。

 聖書中心主義のプロテスタントヨハネス・ケプラーだ。ケプラーの法則で知られている天文物理学のご先祖様のような人だ。私もプロテスタントに属するクリスチャンなので、彼の発想は自然なものとして受け止められる。しかし、彼の時代は宗教改革の嵐が吹き荒れる時だ。カトリックの政敵になりやすかった。彼の母は魔女の疑いで宗教裁判に架けられる。彼は母の弁護をする。何とか結果を出すが、彼自身も迫害を受けた。カトリックが支持する天動説を膨大な天文データを解析して地動説が正しいと証明するような人です・・・彼にとっては、これが神学だったのです。当時、最高の学問は神学です。命がけで学問をしていた。純粋な学者だった。ガリレオのような政治センスは、なかった。「それでも地球は回っている」と一人つぶやくような。

 ところが、ケプラーにとって、結構な収入になったのが偉い人を相手にする星占い。

偶然に左右されるのが人生だから、今も星占いをする人々がいる。その星占いの大先輩が彼にとっては東方の博士たち。新約聖書の底本(ギリシャ語)を見れば彼らのことをマゴスと書いている。彼らもまた天文博士だったが、拝火教ゾロアスター教)の高僧と思われ、博士ではなくマギ僧とも訳せるかな。ゾロアスター教ユダヤ教だけではなく日本の仏教にも影響を与えているようです。西遊記に出てくる三蔵法師のモデル玄奘は、ゾロアスター教徒たちとも交流があった。天竺(インド)にもキリスト教があった。相手の良いところを見ては取り入れるのは、今もそうですが、中国人の18番、その流れを汲むのが日本の仏教。それで、日本の仏教とキリスト教は共通点が多い。

大乗仏教などノアの箱舟の発想です。それを思えば、クリスマスが日本のお祭りの一つになっても、不思議ではないかも知れない。

さて、ゾロアスター教の坊さんであるマゴスとかマギとかいう言葉に源泉があるのが英語のマジックと言う言葉。それでも、彼らをマジシャンと訳すのは、今の言葉の使われかたから無理があり、魔術師とか魔法使いのほうがまだ良いか。女性だったら魔女か。

とにかく、マタイによる福音書に記述されている東方の博士たちは、ユダヤの国を属国として支配していたローマ帝国の最強のライバルであったパルティア王国から来たと思われる。パルティア王国は、騎馬戦が得意で大平原の戦いでローマ軍を破った実績がある。モンゴル帝国のご先祖様のような国。あのカエサルが、戦死のリスクがあるパルティア遠征に行く準備をしていたときに紀元前44年に元老院で暗殺された。その理由にパルティア遠征のリスクもあったかもしれない。そのカエサルの遠征でカエサルを助けて気に入られた人の息子が、ヘロデ大王。また、クレオパトラはヘロデの実力を認めていた。

 昔、パルティア軍のためにエルサレムで殺されかけたこともあるヘロデ大王は、パルティア王国から来た東方の博士たちの次のような言葉にひどく動揺した、とマタイによる福音書は述べている。

「どこにおられますか、ユダヤ人の王としてお生まれになった方は。その方の星を日が昇る東で見ました。それで、その方を私たちは拝みに参りました。」

そして、ヘロデは東方の博士たちを人に知られぬように招いて、あの星が輝き現れたときを博士たちから丁寧に調べるのです。ヘロデと違ってケプラーは純粋に調べます。

 さて、ヘロデ大王が死んだのは紀元前4年なので、イエス様が生まれたのは紀元前4年よりも前であるとわかっています。イエス様が紀元1年生まれと計算したのは昔のカトリックの坊さんで、今では彼の計算間違いだった、と彼一人の責任にされているよう。その計算よりは、ケプラーの計算の方が優れているというより、比較できない計算だった。科学と政治とは同じ計算をしないことがよくある。データ改ざんもする。

 聖書中心主義のプロテスタントケプラーは真面目にイエス様の生まれたときを福音書の記事から推測しました。また、イエス様の歴史的事実を述べている書物で最も信頼できる書物は福音書といわれている。(夢物語やおとぎ話の形式ではあるけど、その中にある歴史的事実を見抜くのが聖書を読むうえでは肝心。)

 ケプラーは「星が輝き現れた」という言葉に天文学的に注目したようで、この現象は「新星の出現」「すい星」「星の爆発」「星と星の会合」などの現象と彼は考えたようで、最終的に彼は「星と星の会合」と推測しました。

星と星の会合とは夜空にある2つの星が近づいて来て重なってくるように地球から見えるとき、肉眼で見る人間の目には、2つの星が一つの星のように見えるだけではなく、それらの星一つ一つの明るさよりも明るく見えるために、新しい星が現れたように見える現象のこと。

 すると、紀元前7年の5月27日、10月6日、12月1日に三回も魚座木星土星が会合をしているとのことです。彼は、その会合を「星が輝き現れた」と東方の博士たちが言ったのではないかとケプラーは推測した。

 さて、話を戻して、ヘロデの取り調べを詳細に受けた後に東方の博士たちはヘロデのもとから出で行きますと見たのです。東の空で見た星をまた見たのです。きっと、10月6日か12月1日です。旅行のしやすさから見れば10月6日でしょうか。

すると12月25日でないので・・・このケプラーの推測をどう思います。

政治的に不器用だった彼は寒さと貧乏のために天に少し早く召されます。天国で暖かく迎えられ豊かに過ごすために。 メリー・クリスマス。