イエスの愛

イエス・キリストの愛についての日記

2018-01-01から1年間の記事一覧

豚と多神教

ヨハネ・ヤジロー 豚は多神教を暗示します。ローマ皇帝アウグストゥスが「余はヘロデの息子であるより豚であった方がましだ」という言葉はイエス様が生まれる少し前にヘロデ王が妻のマリア妃(ミリアム王女)を殺しただけではなく、彼女との間にできた息子た…

勇気と信仰

ヨハネ・ヤジロー 勇気のない信仰はもろい。何かあると大騒ぎをする。個人的にも、そのような恥ずかしい経験が私にはあります。「小心というか信心が小さい、信仰が薄い」と想定外のことが起こったときに思います。 評判の良い人の周りには、その人について…

休憩

ヨハネ・ヤジロー 疲れた時は休憩する。労働に関する法には詳細に書かれてあり、その詳細も時代や国の実情と供に変化していきます。その法の源流で今も生き続けているのは、イエス様の愛に基づく言葉です。 マタイによる福音書11章28~30節です。新共…

犠牲による愛

ヨハネ・ヤジロー イエスの愛は十字架に代表される犠牲による愛。これは頭や心で思っても簡単にできるものではありません。マタイによる福音書8章16節~22節を読み、思いました。 その16~17節。 「それで、夕方には、悪霊に苦しむ多くの人(病人)…

身代わり

ヨハネ・ヤジロー 働き方について細かな法律があり、また、そのような法律ができるそうだ。中身が複雑で、もっともらしく聞こえる。しかし、人にはそんなに複雑な生き物なのだろうか。 定期的に休めれば、過労による問題は何も起きない。そう思う。そのこと…

過労死

ヨハネ・ヤジロー キリスト教の教会に日曜日に来る人々は休むために教会に来ている。 私の楽しい休み方は、教会から人が帰って行ったときにある。誰もいない礼拝堂で十字架を見上げる。瞑想(めいそう)をする。迷走であってもかまわない。祈りにならぬ祈り…

風と悪霊

「病(やまい)は気から」という言葉があるように心と体の関係は連動しています。心が病気になると体も病気になりやすい。また、体が病気になると心も病気になりやすいものです。最悪は両方ともに病気が進行することです。それで、薬でも飲んで、強制的に体…

花嫁の父

ヨハネ・ヤジロー 花嫁の父として経験をつい最近した。娘に結婚相手がいることを知ったのは去年のことだった。詳しい時期など覚えていない。ショックであったことは記憶にある。心理学の本を再読するなど、自分自身の心に生じた思いを正直に見つめた。時間が…

信仰

ヨハネ・ヤジロー 信仰と宗教は違うと思うのです。宗教は伝統や文化などの中に浸透をしていますので日常の平凡な生活のときには意識しないことが多いものです。それで、葬式や結婚式、お祝いごと、宗教的な行事つまり礼拝などのときに意識をしますか。 とこ…

テスト

ヨハネ・ヤジロー 日本のテストのシーズンも終わりに近づいている。学生時代の苦しみはテストだった。テストされる、そう、試されるのは苦しいもので、イエス様がこのように祈りなさいと言われた言葉の中にもある。マタイによる福音書6章13節。 「試され…

葬式

ヨハネ・ヤジロー つい最近、通夜も含めて葬式に出た。不思議なことに亡くなった人の良かった所ばかりが思い出される。その人を失ったときに実感するものだろうか。また、そこで多くの関係者、親族、親戚の人たちと話す機会があった。すると、今まで理解でき…

差別

ヨハネ・ヤジロー 差別は深刻になりやすい。それは、差別をしている人の意識が薄いと言いますか差別されている人の痛みを感じていないから、と思われます。その痛みを逆に喜びと感じて人を差別する人がいたら、その人は人でなしです。 商品の差別化という言…

三位一体

ヨハネ・ヤジロー 三位一体はキリスト教の神様のイメージの代表的なものですが、古事記を思い出すことがあります。 それは、三位一体は三つのモード(機能形態)が神様にはあるよという意味で、つまり、天の父と神の子(イエス・キリスト)と聖霊の三つのモ…

最後の審判

最後の審判 ヨハネ・ヤジロー 「最後の審判」での判定基準ついてイエス様が話しておられる箇所を書きます。 ()書きで「最後の審判の日」と書いているのは、底本には「その日」とだけ書かれてあるからです。他にも()書きで説明文を挿入しています。 その…

偽(にせ)予言者

にせ予言者 ヨハネ・ヤジロー 偽(にせ)予言者の見分け方は難しい。メッキというのは剥(はが)がれて、はっきり、メッキと分かるように本物と偽物を見分けるのは難しい。また、詐欺目的の場合もあり、偽物には用心しなくてはいけない。その辺のことをイエ…

狭き門

狭き門 ヨハネ・ヤジロー 今の日本は受験の季節。インフルエンザがひどく流行っている。それにひどく寒い。 イエス・キリストの言葉「狭き門」を思い出す。マタイによる福音書7章13~14節にこうある。 「狭き門から入れ。大通りの門や広い道は滅びに導く…

法と予言者

法と予言者 ヨハネ・ヤジロー 今の日本は法治国家なのですが、その基本は聖書に書いてある法と一致しますが、その聖書は日本という国ができる前に書かれたもので、法の歴史は聖書の成立よりも古い。それは考古学的にも証明されていると聞いています。 その法…

批判

批判 ヨハネ・ヤジロー 日常的にある批判は、ある行いについての否定的な裁きであることが多い。それで、ある批判された人の言葉が今も私の耳に残っている。 「うん、その行いをぼくはした。だけど、その批判は、批判した人のものだよ。行いはぼくのもの。批…

人を裁く

人を裁く ヨハネ・ヤジロー イエス・キリストが人の子として生きていた時代も今もパレスチナは多言語・多民族・多宗教社会。その象徴がエルサレムで、当時、ユダヤ人がそこで話す宗教的権威をもつ伝統的な言葉はヘブライ語であったらしい。それは、今のイス…

「宝」 ヨハネ・ヤジロー 明日(あした)には明日の風が吹く。明日どのような風が吹くかわからない。今まで生きてきてそう思う。それで、今日は神様に従って何とか生きよう。明日、地上にはいなくて天国にいるのかもしれないのだから。そう思うも、信仰が小…

断食

断食 ヨハネ・ヤジロー 夢という名の希望がなければ信じることは難しい。そして愛することができなければ夢が実を結ぶことは難しい。誰を信じるのか。それは神様。誰を愛するのか。それは神様。その愛の一番目に来るのは辛抱。神様を信じて辛抱して待つこと…

祈り

祈り ヨハネ・ヤジロー お祈りは様々です。私も知らないような形の祈りが多くあるでしょう。一人の人間の知識などたかが知れています。おそらく、声を出して祈るのがよくある形で、それも、泣き叫ぶような形が多いのは、天に届くように祈るためです。その美…