イエスの愛

イエス・キリストの愛についての日記

異端と寛容

異端に寛容なのはクリスチャンで異端に厳しいのは教会という不思議な現実があります。 イエス・キリストの愛には、寛容が第一番目に上げられます。 イエス様をモーセやムハンマドと同列の予言者にすれば、イスラム教になります。 クリスチャンが聖書の中で良…

聖書の限界

クリスチャンの一部にある「聖書中心主義」には限界があります。 聖書に限界があるからです。聖書の記述に関する人間の持つ表現能力に限界があるからです。 クリスチャンでもプロテスタント系の人たちは聖書中心主義の人が多い。 聖書中心主義の限界は、聖書…

聖書中心主義の限界

クリスチャンの一部にある「聖書中心主義」には限界があります。 クリスチャンでもプロテスタント系の人たちは聖書中心主義の人が多い。 聖書中心主義の限界は、聖書を神様よりも上に置くことが不可能なことから来ます。 神様が一番上なことは永遠に変わりが…

異端

宗教で異端という言葉は、幅広く使われる。 誰でも異端と思うのは、詐欺師が頭にいる宗教、宗派、教団、教会である。 キリスト教で、ややこしいのは、神父や牧師が詐欺師の場合。この場合は、特定の教会を指すので、そこの宗派が異端とはならないからだ。し…

愛と好きの違い

愛と好きの違いは、キリスト教を通してみないと見えないものです。 日本人が使う「愛」という言葉の使い方が広範囲なものですから。 キリストの愛と好きの違いと言うと明確に違いが見えてきます。 キリストの愛でよく知られている言葉は「汝の敵を愛せよ」で…

不敬罪な祈り?

不敬罪を犯している事実の確認は誰がするのだろうか。 犯している本人よりも第3者だ。日本語の使い方が不適切な不敬罪は、国語の辞書を引いただけで簡単に判断できる場合がある。 すると、日本の教会で、一部ではあるが、日曜日ごとに不敬罪な祈りが発せら…

最後のアダム

最後のアダムという言葉は、聖パウロが書いた第1コリント15章45節にある言葉です。こうあります。 「(聖書に)『最初のアダムは命を授けられた』と書いてあるでしょう。最後のアダムは命を授ける霊となったのです。」 最初のアダムは誰もが知っている通り…

滝廉太郎と讃美歌

天才作曲家であった滝廉太郎は、クリスチャンであり、今度、新5千円札の顔になる津田梅子は、キリスト教会で、滝廉太郎の弾くオルガンで讃美歌を歌っていたと思われます。 荒城の月は欧州の一部では讃美歌の曲として使われています。それで、滝廉太郎の花と…

みじめさからの救い

惨(みじ)めな経験は誰でもするものだけど、ある日、突然、死ぬときがやって来る。そして、惨めなままに死ぬことがある。 大災害や戦争もそうだけど、交通事故に巻き込まれて一瞬のうちに予想もせずに死ぬこともある。しかも、年齢も赤ちゃんから高齢者まで…

休みましょう

最近、ある人から聞かれた。 「どこの教会(キリスト教)に行けば良いのでしょうか」 私は答えました。 「日曜日に教会は開いています。最寄りの教会に日曜日に行くことです」 彼は言います。 「いや、私が聞いているのは、どこの教会に行くべきかです」 私…

男女同権

男女同権について、イエス様の愛ある言葉について書いてみます。 今でもそうかもしれないですが、男女同権と思わない人が、男性も女性もいます。 イエス様の時代には、男女同権と思わない人が主流だったようです。たとえば、お客様が来ると女性の役目は料理…

敵を愛せ

「敵を愛せ」とイエス様は言われる。さらに言われる。善で報いよ、と。 自分を呪う人を祝福せよ、と。自分を侮辱する人のために祈れ、と。ほおをぶたれてももう片方のほおを向けよ、と。 実際の問題としては、多くの人は反対のことをする可能性がある。たと…

人の愛と神様の愛

人の愛は人生経験を積んでいけば、それなりに知っていけます。でも、神様の愛は全てを知ることは無理です。人間のレベルでの比較でも存在期間が全く違います。人間は百歳も生きれば長寿です。でも、聖書で述べている神様は、人よりも前から存在しているから…

休ませるイエスの愛、ヤジロー

奴隷のような身分に誰でもなりたくない。しかし、母国が戦争に負けますと敵国から奴隷のような扱いを受けることは覚悟しなくてはいけない。裕福な暮らしをしていても大災害で生活基盤を失えば、奴隷のような貧しい生活をするかもしれない。 借金も恐ろしい。…

十字架におけるイエスの愛、ヤジロー

イエス・キリストの愛は、十字架の愛が一番です。 十字架の愛は、罪などに苦しむ人を救うために、罪の身代わりとして、身代わりの犠牲で、イエス様が十字架に架かられた愛です。これは、イエス様の祈りにある「御心がなりませ」という祈りと連動していて、キ…

誰でも過労死の危険

ヨハネ・ヤジロー 誰でも過労死をする危険がある。交通事故で死人が出るのと同じだ。 これは、世界共通の危険で古代からある。つまり、奴隷が存在したときからだ。 古代の戦争の目的は単純だった、と歴史の先生が言うのを学生時代に聴いた。 つまり、戦争に…

クリスマス余話

星の古記録 (岩波新書) 作者: 斉藤国治 出版社/メーカー: 岩波書店 発売日: 1982/10/20 メディア: 新書 クリック: 3回 この商品を含むブログ (3件) を見る ヨハネ・ヤジロー 今日は12月20日の木曜日。今いる福岡は暖かい。金曜日にイエス様は十字架に架…

この愛は終わらない

愛には終わる愛もあります。終わりやすい愛もあります。ギリシャ語でエロスと呼ばれる愛は、誰もが知っている身近に存在する愛ですが、終わりやすい愛です。 エロスの代表格は男と女の愛です。また、仕事や会社への愛、特定のスポーツチームへの愛も終わりや…

日本の奴隷制度

日本は地理的にも歴史的にも個性があり、奴隷制度もそうだ。 奴隷扱いをされている人に「自分は奴隷だ」と思わせない伝統がある。喜んで働く奴隷をつくるのが日本の伝統だ。伝統的な価値観は目に見えない。日本独特の空気のようなものだろうか。しかし、特有…

愛は全てをかばい信じ望み耐え忍ぶ

第1コリント13章7節にある愛の「耐える」には「屋根のように上から覆ってかばってあげる」という「子供をかばう親の愛」のような言葉が原語στεγω(ギリシャ語)があるのですが、既存の日本語訳聖書では簡潔な原文のリズムを壊したくなかったのでしょうか…

愛は不正や不義を喜ばない、公正や正義などの真を共に喜ぶ

第1コリント13章6節に愛の一部が書かれてあります。 「愛は不正や不義を喜ばない、公正や正義などの真(まこと)を共に喜ぶ」 これは、イエス・キリストの愛(アガペー)ですので、それを承知しておかないといけません。それほどまでに、日本語の愛は意…

愛は人を怒らせない、悪く思わない

イエス・キリストの愛が第1コリント13章に書かれてありますが、その5節には「礼を失わず、私利私欲に走らず」と述べてから「怒らせない、悪く思わない」と続けて述べてあります。 人をいらだたせたり、人を怒らせることがあります。また、人のこと悪く思…

愛は礼を失わず私利私欲に走らず

聖パウロは第1コリント13章5節で語ります。愛は礼を失わず私利私欲に走らず、と。この愛も、様々な背景を持つ人々の集団生活における愛について語っています。 日本の場合は、比較的広く、この愛は行われているようです。それでも例外的な場面を見るのは…

愛は自慢しない、誇らない

「愛は自慢しない、誇らない」とは、イエス・キリストの愛の一つの側面を表現した言葉です。(第1コリント13章4節)原語のギリシャ語の語源を見てみますと「自慢する」は「うぬぼれが強い」という言葉から来ています。「誇る」は「ふいご」もありますが…

愛はひどく妬まない

聖パウロは第1コリント13章で言います。 「愛は(すぐ怒らないで)長く耐え忍び(情け深く)親切」と述べてから「愛はひどく妬(ねた)まない」と続けます。 この「ひどく妬まない」という言葉は「妬まない」と単純に訳されることもある言葉ですが、人は…

愛は親切で情け深い

イエス様の愛(キリストの愛)を聖パウロは第1コリント13章を中心に述べています。この愛の大切さを述べる前に聖パウロの頭にあったのは、教会内の人間関係の問題です。それは、第1コリント(コリントの信徒への手紙一)を読めば・・・古今東西どこにで…

愛はすぐ怒らない

イエス様の愛つまりキリストの愛で一番目に来る特徴は第1コリント13章4節にある「すぐ怒らない」ことです。直(す)ぐ怒らない、と英語や日本語では訳されていない場合が多いので、日本語訳聖書では見当たらないかもしれません。ですが、世の中で一般的…

仲直り

日本古来の宗教とキリスト教の違いは何か。歴史に書かれた事実、それも、キリスト教徒による残酷な行為を知らされている日本人には信じがたい違いかも知れない。 また、隠れキリシタンを生んだ日本の暗い歴史的な事実。そのため、イエス様の説いた教えが、多…

χαρισμα(カリスマ)

カリスマ(χαρισμα`)はギリシャ語に由来します。もともとは、贈り物の意味です。その最上のものは天からの贈り物、つまり、神様からの贈り物です。賜物(たまもの)と短く言うことがあります。また、日本人がよく使う使い方のカリスマの意味もあります。文…

炎の人パウロ

聖パウロは炎の人だった、と新約聖書を読むたびに思う。その情熱は炎のように熱いのですが、どうも、日本人は感情をあらわにした表現を避けます。恋人と歩くときに、「君を愛してる、君の瞳はきれいだ」とは言えずに「街の明かりがきれいだ」とか告白します…